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忍法帖ってよく「荒唐無稽」と言われるけど、
実は私は忍法帖を読んでいてまったくの一度も荒唐無稽だと
思ったことがないんですが。
というより、どの辺がどう荒唐無稽なのか逆に説明して欲しい(笑)


「荒唐無稽」が一体どういう意味合いで言われているか
知りませんが、それが少なくとも時代考証、ストーリー、
史実との整合性について言っているつもりの人はまず論外。


登場する忍法が荒唐無稽?
あんなの、嘘を前提として書かれているんだから、
そんなものに惑わされるのも論外でしょう。
フィクションだから読者も許容範囲広く受け止めることができる。
逆に、フィクションをノンフィクションとして書いたり、
小ウソをつく方が読者に突っつかれると
思うんだけどなあ。


私の中の「荒唐無稽」っていうのは、
ストーリーが紆余曲折してご都合主義で破綻していること。
結局収拾がつかなくなって、テキトーに無難にまとめましたようなものに
「荒唐無稽」だと感じます。
忍法帖は、史実との整合性は頭が痛くなるほど綿密なこと、
ストーリーもさすがミステリ作家だけあって、
ストーリーテラーの名を欲しいままにする完成度の高さです。


が、私は忍法帖には荒唐無稽だと感じたことはないのに、
なぜか明治物は荒唐無稽だと感じるんです。
いや、どちらかと言うと個人的には明治物の方が
史実人物の邂逅に「ありえねー」と叫んでしまいたくなるんですよ(笑)



実は忍法帖では決して登場しないタブー的な要素が
明治物では平気で登場しているんです。
それは「幽霊」。
特に明治物では怪談、不可思議な物が多いんですが、
それら不可思議な物、科学的に証明できない要素が、
物語を動かし、時にはご都合主義的に物事を解決していきます。


『警視庁草紙』の気球に兵四郎とお蝶がさらわれる事件がありますが、
兵四郎自身が「ご都合主義だ」と言っているように、
こういうご都合主義的な物を、忍法帖では決してやらないくせに
明治物では平然として使ってくるんですよ。
忍法帖ではその不可思議な物、
ご都合主義的な物の役割を忍法が担っている。


なぜ風太郎がそういった現実にあり得ないだろうものを
かならず盛り込んでくるかというと、
それは風太郎が「精一杯合理めかした物が嫌になった」と
言っていることから何となく理解できるような気がします。


実際、合理めいた世界なんてしょせん物語の中でしか
成立せず、現実世界の方が伝奇小説よりよっぽど
奇っ怪で、科学では判断できないこと、
ツジツマが合わないことばかり起こるからでしょうが、
(この辺りは『八犬伝』に繋がっていってしまいますね)
風太郎は自分の整合性の高いストーリーを、
あえて不可思議な物によって壊そうとしているような気がします。
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SKIN:Babyish-
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