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友人から誕プレで
いただいた『白波五人帖』を読破しました。
あまり傑作という言葉を乱用すると
言葉の価値が低くなってしまうんですが、
なんでこの『白波五人帖』で
直木賞が取れんのだ(笑)

いや、最近は直木賞だとか
賞の価値自体も下がってきているんだけどさあ。


さて、『白波五人帖』は簡単にいえば、
有名な歌舞伎の白波五人男の五人を主役として、
悪の生き様を描いた小説。
悪役つまりヒールは、正義のヒーローよりも
影があって人間味があり、カッコイイ。
だが、この『白波五人帖』に登場する五人の悪党達の物語は、
「悪人カッコイイ」なんて薄っぺらい言葉で
語ることなんかできない、
深く、読者の心に暗い影を落とさせる物語である。


しかし、この物語は「正義と悪とは何か」だとか
「人間は正義や悪で割り切れない」というテーマで
描かれているのでは決してないと思う。
そういうテーマの作品だったなら、「悪人カッコイイ」の
軽薄な言葉で感想が言えただろう。
最も注目すべき点は、山田風太郎が、この五人の悪党を
「悪」として割り切って描いている点
なのだ。
人間の不幸と幸福の絶対量が釣り合わない
という現実のかなしみ、絶望的なまでの理不尽さ

五人を「悪」として描くことによって表現しているように思う。
だからこそ、「天網恢々疎にして漏らさず」という金言が、
終盤になって重くのしかかってくるんじゃないだろうか。


各話の感想は、
「日本左衛門」
大盗賊日本左衛門がなぜ自首したのか?
その発端となった悲劇に、自分も日本左衛門と同じく
見えない棒かなにかで殴られたような衝撃があった。
自首した理由として、非常に説得力のある描き方だ。


「弁天小僧」
山田風太郎は、キャラクターに多くを
語らせずその心理を物語るのが得意な作家である。
この章でも、弁天の心理、彼が自分の過去について
どう考えているかはまったく説明されていない。
だが彼の正体が判明した時、まるで一度倒れたドミノが
また逆からひっくり返っていくかのように、
弁天小僧の心理、煩悶、憎しみがありありと
痛いほどに伝わってくるのだ。
弁天は確かに、悲劇から産まれた可哀相な悪党である。
しかし私には、彼の生い立ちや過去よりも、
彼の精神のありようそのものが、
不幸の種であったような気がしてならない。
ラストの一文が非常に美しい、名文である。


「南郷力丸」
彼の章ではあるが、本人の力丸はあまり活躍せずまわりの
お林、妹達、牢奉行、天竜と白鳥らの思惑、陰謀が
中心に描かれていて、異色。
悪の張本人である力丸がどう行動しないでも、
彼という「悪」の存在があるだけで、周囲に奸智や陰謀、
悲劇が起こってしまうというのが皮肉。
ラストのたった一文に、涙が出るような思いがした。


「赤星十三郎」
「天下の盗賊赤星十三の
情婦(いろ)らしい死に方をさせてやる」
というセリフが胸に突き刺さる。
悲劇は巡り巡って、赤星が恋人を
幸せにする一つの方法として、
ただその死を演出してやることだけだったというのが、
儚くも非常に心に残る。


「忠信利平」
もっともやりきれないのは、「南郷力丸」の章で
お林がいのちを懸けて守った二人の妹が、
悪党の端くれになっているということである。
しかし、日本左衛門や忠信らが自首しても、
悪党達は消えることなく悲劇は繰り返されるのだ。
暗いなあ(笑)


全然関係のないことですが、
『忍びの卍』の百々銭十郎が、
「白朽葉」がギリギリ一杯の状態で
『忍法八犬伝』に登場する「袈裟御前」を
やられたら即死するな、
と思う今日このごろ。
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